斎妃星

先日のブログで「神社の夢」の記事を書いたのですが
その内容を友人に話したところ、同じ石碑の夢を子供の頃から見ていたといい
とても驚きました。

その日に、久山にある六所宮跡、審神者神社、斎宮について考えていたのですが
同時に、自分のルーツでもある背振神社の事も調べており
たまたまこういった文章を見つけていました。(下記文)



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八咫烏をシンボルとしているのが、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を始祖とする天神系氏族の賀茂氏です。賀茂氏の出身地は中国大陸の北西から東北にあった『一目国』です。「一目」の由来は、坩堝で鉄などを作る時、閃光から目を守るために片目をつぶる習慣があったからなのですが、古代中国の地理書『山海経』の海外北経によると、一目人は人間の姿をしているが、目は顔の真ん中にひとつだけついていると言われ、姓は威(い)、古代中国の帝・少昊の子孫であると言われています。キビを食べている習慣があり、人々はこの国を怖がって、鬼国(きこく)とも呼んでいたと言われます。
この賀茂氏の祖を筑紫では「八丁様」といい、山城の国では「加茂の神」と言います。『賀茂神社の葵祭』の由来は、もともと筑紫の背振神社で行われていたのを、天智天皇がご覧になって京都でも真似をして始めたことにあります。
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実は、賀茂族の一つ目の話しを、ここ3日間でいろんなところで目にして
ぜんぜん、関係ないところでも同じ話を目にしたりして
内心ちょっとビックリしています(笑)きっと、大事なんだろうな( ´艸`)ハイ、ココテストニデルヨーみたいな 笑


そして、なんとなく同じ日に、「斎宮」「葵祭」「加茂族・八咫烏・背振神社」というワードを見ていたわけですが
なんと、今日(次の日)
葵祭りとは、斎王の祭りだったのだと知りました!Σ(・□・;)


斎王のワードは、ここ数日脳裏に浮かんでいたのですが
ここで、点と点が繋がるとは!?
驚きました。

真鍋大覚「灘の國の星・拾遺」P186から

「斎妃星」(蛇座) 中川では山神祭が今は陽暦四月二十四日に行はれる。
若葉うるみ山桜や弥生櫻が散りこぼれ、躑躅が満開の見頃である。
篝火に照らし出される夜桜を見上げて、下弦の月が上がる夜半に宴を開いた。
昔からこの日だけは山に立ち入ることも、ましてや薪木の枝を撮ることも禁ぜられていた。
二十四日の由来につき、一説には、太白暦一年五百八十四日と、殷正日烏暦二十月五百六十日の差の
二十四日をもって為すと言う。

又他説には十九歳一章の二百三十五朔望月と、日烏(宇)暦二百四十七月の差
二三・六八八四一日を二十四日にきり上げたものと言う。

要するに何か一つの年期の最後の端数によるものとすれば、これは追儺、或は大祓の儀式であったかもしれない。
前述の焚火の由来は、西王母の古い衣装を焼きすてるとも、或いは水浴の冷たい身体を暖めるとも、又洗い濯いだ衣装を暁までに干す行事とも語られている。

昔は斎妃星がこの夜半に天頂に輝いていたときく。
もし天川を西王母の水浴の河とみるか、或は晒した衣装とみるか、いずれにせよその西の方に一つだけ光るのがこの星である。
周正で元旦を何時に選んだかは不明であるが、現在この星が深夜に天頂に達する日を西王母来朝の年に歳差であわせると陽暦四月五日のことになる。これは大陸の一陽来復の寒食節であり、本朝では陰暦三月三日の桃花祭雛節句の頃に一致する。




西王母(せいおうぼ)

※ 西王母は中国で信仰された仙女で、西方の伝説上の山、崑崙山に住み、三千年に一度実る桃の木を持っており、その実を食べると長寿を得るとされていました。

西王母は西遊記にも出てきており、”西王母が植えた蟠桃は小桃は三千年に一度熟し人が食べると体が身軽になり仙道を得る。一般的な桃は六千年に一度熟し人が食べると空を飛び不老長寿になれ、最も良い桃は九千年に一度熟し人が食べると天地と同じ寿命が得られる。”とあります。

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